思うこと

オールブラックスの神対応から「自分はどうなんだ?」と考える

日本でも盛り上がっているらしいラグビー ワールドカップからの一コマ

これはこれで心が温まる光景で、ソーシャルメディアの有難みを感じている。

一方、このツイートに対して「オールブラックスの神対応!」という反応を見て、ある寂しさを感じてしまった。

今日は、自分への反省を込めて他者との関わりについて考えてみた。

ニュージーランドではよくある光景

下のツイートのとおり、こういった光景はニュージーランドでは珍しくない。

このエピソードは、スーパーマーケットでグルテンフリーのピザ生地の粉を買おうとしていたときの話。二つの製品を手に取ってどちらを買おうか迷っていたら、見知らぬ女性が突然後ろから

見知らぬ女性
見知らぬ女性
こっちがおすすめよ。昨日食べたら美味しかったから

と言って去っていった。

他にも、レジでワインを持って待っていたら、後ろに並んでいたおじいさんがそのワインの説明をしてくれたり。

この手の話はニュージーランドでは日常的。

かつての日本もそうだった

今回のオールブラックスの話を見て感じたもう一つのことは

私の記憶にある親の姿から「かつての日本も同じように見知らぬ人に声をかけたり、困っている人に手を差しのべたりしていたよな」

ってこと。具体的に親がどんなことをしていたのかは覚えてないけど、私の中にある親の印象からそう思った。

でも今回のオールブラックスの様子が、いつの間にか日本では「神対応!」なんて称される行為に映るようになっているのか。

上で紹介したスーパーマーケットでの出来事を経験したときに私は「見ず知らずの人にもサラッと声をかけるニュージーランドのこういうとこ好きだな」って思った。ということは、「日本では良かれと思っても見知らぬ人には声を掛けない」って私も認識してるんだな。

そう思うと何だか日本社会って寂しいなって気がしてきた。

そんな風に考えていたら思い出した、二つの話を下に紹介します。

東京の人は冷たい

大学生のころ。地方から出てきた友人が言った一言

「東京の人は冷たい」

私へ向けられた言葉ではなくて、でも何に対しての発言だったかは覚えてないけど、生まれも育ちも東京の私は、この言葉を聞いて悔しい気持ちからムカッとしたのを今でも覚えている。

で、自分の中でだけ反論した。

その「東京の人」って大半は、東京で生まれ育ったんじゃなくて、別の町から東京へ移ってきた人なんじゃないの?その彼らが東京で孤独を感じて冷たい行動を取っているんじゃないか

ってね。実際にどうなのかは知らないけど。彼が言うように客観的に言って「東京の人」は冷たいのかもしれないし。

滋賀ではとても助けられた

「冷たい東京人」とは全く逆で、2011年に東京から滋賀に移ったときに、とても親切にしてもらった経験は記憶に新しい。

異動先である滋賀の職場の同僚は、私たち家族の新しい土地での生活を、当時とても気にかけてくれていた。さらに先日彼がオークランドに来たので会ったときも、滋賀で暮らす私の義両親のことを気遣ってくれたし。

世話になった農家の人は、農業をやってみたかった妻を有給の研修生として受け入れてくれたり、家探しを手伝ってくれたり。元々は何度か米を買ったことがあるだけで、見ず知らずの私たちだったのに。

さいごに

ニュージーランドでは、日本では、東京では、滋賀では。

この記事を書きながら結局のところは、どこ出身だとか、どこに住んでいるのかはどうでもよくて、「私はどうなんだ」ってのが気になってきている。

日本の社会全体をどうこうしようなんて私にはできないけど、自分自身のことなら改善できる。

「子は親の背中を見て育つ」という言葉どおり、「私の親は人助けをしていたんだろう」という印象は頭に残っている。私は、困っている人、助けが必要に手を差しのべているのか。

もしできていないなら、親やニュージーランドから学んだことを実践していこう。

ABOUT ME
やすたた
やすたた
40歳過ぎてから子ども3人連れてニュージーランドに移住。約5年かけて永住権取得。 長い間ぼんやりと頭の片隅にあった想いを実現したくてオンラインの世界へ。
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