「もうアラフォーだから」、「結婚して子どもいるしさ」って思って、やってみたいことをちゅうちょしていませんか。30代、40代、仕事、結婚、子ども。。。いろんなキーワードが現実になり、思い悩む ことがたくさんありますよね。
私は、子どものころから リスクを負わない無難な人生 を歩んできました。母親からも「あなたは絶対に大ケガしない」って言われて育ってきましたし、新しいモノを使う前にまずマニュアルに目を通します。そんな私ですが、あることをきっかけに生まれ育った東京を離れて、現在は家族5人でニュージーランドのオークランドで暮らしています。
2019年4月には、家族みんなの努力が実って念願の 永住権を取得 しました。
それでも根が心配性なので、ニュージーランドで暮らす今も悩みは尽きませんが、
そんな私が、なぜ40歳過ぎてから、わざわざ子ども3人連れてまで 家族でニュージーランドへ移住 したのか
ニュージーランドへの移住に興味がある人、やりたいことがあるけど一歩踏み出せない人。この記事がそういった人たちの 参考、背中を押すもの、何かのきっかけ などになればうれしいです。
目次
何がきっかけで移住を考え始めたのか
2011年の大地震を経験して、たくさんの人が亡くなり放射能汚染の懸念が広がってきて、「人はいつ死ぬか分からない。一度きりの人生やりたいことをやろう!」と夫婦で考えるようになりました。
私は、典型的な「面倒なことが嫌い」で「リスク」という言葉も嫌いな人間です。
反面、何かに挑戦することなく、人生の目標もなく、当たり障りのない日々を送っていた自分を、悲観的に見ているもう一人の自分の存在にずっと気づいていました。そんなモヤモヤ感が数年続いていました。
いろいろ考えていると、あるとき「40歳って数字上はまだ人生の半分だな」って気づいたんです。だったら、結婚していようが子どもがいようが、半分も残っている人生でやりたいことやって充実した暮らしを送ってみたい、と感じるようになってきました。
はじめの一歩 国内移住

「海外移住」という言葉は、2011年の私にも妻にも現実的ではありませんでした。それよりも当時は、自分たちの食べる物に興味があったので、農業に携わりたくて滋賀県に移りました。生まれ育った東京を離れて、初めての関西での暮らしです。
思い切って農家へお願いする
まずは、働かせてくれる農家を探しました。とは言え、農家の知り合いがいたわけではないので、直接農家に電話して研修生として働かせてくれないか頼みました。
見ず知らず人に電話をかけて、働かせてほしいとお願いする。どう話を切り出したらいいだろう、「農業を甘く見るな」と怒られるかも。。。やっぱり電話するの止めるかと何度も悩みました。でも「この電話一本で人生が変わるかも」と意を決して連絡しました。
それをきっかけに何度か電話で話し、夫婦で直接会いにも行き、受け入れてもらえることになりました。
滋賀での暮らし
滋賀では仕事のかたわら2年間、農家で米や野菜作りを教わったり、自宅近くに畑を借りて野菜を作っていました。自分たちが植えた種が芽を出し、だんだんと育っていく様子にとてもワクワクしました。
11、9、4才の子どもたちにとっては、親の考えで住み慣れた東京や仲のいい友だちと離れての新しい生活のスタートです。初めは大変なこともありましたが、徐々に友だちもできて滋賀の暮らしに慣れていきました。
上手く行くとは限らない
しかし、時が経つにつれ私も妻も 農業は性に合わない ことがわかりました。家庭菜園くらいなら充実感も楽しさも味わえましたが、この先農業で食べていくのは違うなと。でも、やってみて気づいたことだったので、それ自体に後悔はしていません。試してみてよかったと思っています。
しかし、いつしか農業への想いは薄れ、何か他のことをしてみたいと考えるようになりました。
理由 どうして海外移住しようと思ったのか
夫婦の想い
崇高な理由はないです。私も妻も単に 海外で生活してみたかった からです。大きな決断をするときって、理由は意外と単純なもんじゃないですか。決めてからいろいろと悩みはしますけど。
妻は、学生時代に短期留学したり、東京での仕事では英語を使っていて海外との接点はありました。私は、学生時代から海外志向はあったものの、勇気がなくて留学はできませんでした。仕事では、海外の取引先と日々メールのやり取り程度のことはしていました。
子どもたちへの想い
そんな夫婦なので、海外の教育環境 に興味がありました。子どもたち には日本の受け身で画一的な教育ではなく、自分の意見を持ち、それを表現できる人になって欲しい。そういう願いもあって上の二人は、東京では英語劇の学校に通っていました。また、日本だけでなく、いろんな国で暮らせる選択肢があればいいなとも考えていました。
さらに、高齢化や政治不信といった日本の行く末への懸念もありました。子どもたちが大人になるころの日本はどうなるんだろうと。
願えば叶う 海外移住への扉に手をかける

できない理由はいくらでも出てくる
私も妻も農業に代わる何かをしてみたい、その上で「海外で暮らしてみたい」という憧れもありました。でも海外移住は、子どもが3人もいなくて、英語がペラペラで、特別な技能がある人しかできないって思ってました。
やってみたいことはある、でも怖くて挑戦できない。そんなときって、自分を守るためのできない理由はいくらでも出てくるんですよね。
少しずつ先に進む
そうこう考えているうちに、たまたまツイッターのタイムラインに流れてきた ニュージーランド関連のオフ会 の案内に目が止まりました。でも参加しようかどうか悩みました。オフ会なんて怪しいし、ニュージーランドのことをちょっと考え始めた程度の自分が参加していいものか。。。
それでも「何か変わるきっかけになるかも」と考えて申し込みました。当時の悩んだ末のツイートが残っていました。
初めてオフ会なるものに参加申し込みをした。何かのきっかけになればうれしい。
— やすたた🇳🇿𝐍𝐙 (@yasutata_tky) 2013年5月30日
行動すれば何かが変わる
オフ会は、ニュージーランドで暮らしている人が、日本に一時帰国した際に開いた集まりでした。そこで、永住している人と話をしたら、それまでの考えが少し変わりました。海外移住って思っていたほど特別じゃないんじゃない かって。
行動すれば何かが変わる。願えば叶う。そう感じた一日だった。
— やすたた🇳🇿𝐍𝐙 (@yasutata_tky) 2013年6月8日
これがきっかけとなり約1年後にニュージーランドに移住することになるとは。。。
それからは、当時読んでいた本にならって、毎晩ふとんに入ってから「ニュージーランドに移住する」と思い浮かべてから寝るようにしました。すると、少しずつ自分の中でニュージーランド移住が既成事実に感じられるようになってきました。
その後数か月、夫婦で話し合い、移住エージェントにも相談し、家族5人でニュージーランドに行く決心をしました。この辺りの詳細は、別の機会に話そうと思います。
理由 どうして移住先はニュージーランドなのか
移住先の条件は、永住権が取りやすい英語圏(簡単という意味ではなく、他と比べると”取りやすい”という意味)で、暮らしやすい気候でした。
ニュージーランドへは新婚旅行で来ていて、とてもいい印象がりました。旅行で滞在するのと移住して暮らすのでは全く違うだろうとは思いましが、旅行で来たことがあるという事実は、背中を押してくれる材料としては大きな経験でした。
私たちが目指していた技能移民(SMC:Skilled Migrant Category)は、年齢や学歴、職歴、永住権申請時の仕事などを基にしたポイント制で審査されます。日本での経験や、ニュージーランドで学位を取得し仕事さえ見つかれば 可能性はある と思えました。また、ニュージーランドの永住権は、一度取得すれば更新の必要がない のも大きな魅力でした。
オークランドの家賃が高いのは聞いていましたが、それよりも 治安の良さや差別の少なさ といった点も、子どもを連れて家族で初めての海外生活をするには大きな利点でした。
気候は、
細長い国土のニュージーランドはほとんどの地域が海岸近くに位置しているため全体的に温暖な気候に恵まれています。北島北部の夏は亜熱帯性気候の特徴が強い一方、南島内陸部の高山地帯では冬になると-10℃まで気温が下がることがあります。
ニュージーランドの平均気温は南に行くほど低くなります。年間で最も気温が高いのは1〜2月、低いのは7月ごろです。日中の最高気温は、夏の間は20℃~30℃、冬の間は10℃~15℃ほどです。
「平均気温は南に行くほど低くなります」は、南半球ならではですね。
加えて、長年春先に杉の花粉症に悩まされていた私には、花粉症とサヨナラできるかも、という環境も好材料でした。
さいごに
だれでも思い悩むことはあります。そしてそれらを一度には片付けられないです。でも少しずつなら前に進めます。三歩進むこともあれば、二歩も四歩も下がることもあります。落ち込むこともよくあります。
いろいろ悩んでいるときにそう教わりました。
まずは何でもいいからやってみてはどうですか。移住に関してなら、Google の検索窓に「ニュージーランド」と入力する、ツイッターなどで現地で暮らす人に聞いてみる、移住留学エージェントや移民アドバイザーに相談してみる。いろんなことができます。すると何か違うものが見えてきます。
ちょっとずつでいいんです。

